omohayui blog

おも‐はゆ・い【面映ゆい】[形][文]おもはゆ・し[ク]《顔を合わせるとまばゆく感じられる意》きまりが悪い。てれくさい。

長縄跳びのトラウマ

はじめに

昨日、Googleさんが主催してる Women Developer Academy というイベントの初日で Cultivate Confidence というセッションに参加したときに、ふと自分に自信が持てない傾向になった原因はなんだろうって勝手に深堀りをしてみた。

→セッションの中で紹介された女の子の "Daily Affirmation (毎日の自己肯定)" 超かわいい。

小学生の見えてる世界

子どもの頃、私はいわゆる運動音痴で、国語、算数、理科、社会、音楽、図工、家庭科がオール5でも体育は2か3みたいな成績の子だった。

中でも、長縄8の字跳び(みんなで一斉に飛ぶやつじゃなくて、一人ずつ跳んでは抜けて連続回数を競う)という種目がめちゃくちゃ苦手で、クラス対抗の長縄跳び大会がある度に世界の終わりを願うほど嫌いだった。

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当時のルールだと最長の連続回数を競うので、一人ずつ跳んでいってカウントが伸びていっても、一人下手な子がいるとそこでカウントがリセットされる。
40人クラスだったとして、ド下手が一人いたら、そのクラスの記録は40超えることはないのだ。

必然的に私はクラス全員に迷惑をかけることになる。
優しい子の「練習すれば上手くなるよ」という励ましも、私にとっては「足手まとい」「無能」の烙印を押されたようにしか聞こえなかったし、どんなに嫌でも絶対に練習を欠席してはいけない重圧も感じてた。

そんな感じで、みんなに迷惑をかけている自分はこの世にいきている価値がないと思うぐらい自信を失って、普段の時間にクラスメイトに話しかけるのすら苦手だった。

大人の見えてる世界

高校生のときに私の世界は180度変わったと思う。授業でもイベントでも選択する自由が与えられた。
クラス対抗のスポーツ大会とかはあったけど、自分が少しでも活躍できる種目を選ぶことができたし、それなりに楽しかった。

大人になって、気づいたことがある。
長縄を跳べなくたって、誰にも迷惑をかけていないのだ。
社会人になってからそこそこ長い年月が経ったけれども、一度も長縄8の字跳びを強要されたことはないし、跳べないという事実で誰かを困らせたりもしたことはない。

小学生の自分に教えてあげたい、長縄が跳べなくても、この世に生きている価値はあると。

それで?

結局、Cultivate Confidence とは関係ない話になってしまったけど、子どもの見えてる世界って外からの影響を受けやすいし、範囲が狭いからそれしか見えてなかったり、逃げ道がないから自己否定に走りがちなんだなって。

これはきっと色々な選択が与えられたはずの大人にも言えることで、見えてる範囲が狭いと自分のだめな部分、嫌いな部分ばかりが脳内を占めてしまって、自分の良い部分、達成したことが薄れていってしまう。

子どもでも大人でも、まわりが心理的安全性を確保してくれるのが、自己否定に陥りがちな人を減らす手段にはなると思うけど、自ら Cultivate Confidence するには、一つ一つ、自己肯定してくのが良いのかな。

ということで自分も毎朝鏡に向かって、I can do anything good! って叫ぼうと思います。嘘です。